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京舞篠塚流五世家元 篠塚梅扇

明治45年京都市中京区衣棚通御池下ㇽに生まれる。

幼にして父を失い、叔母にあたる地唄の上手い島勢い師に引取られ、京都の竜池小学校、京一中(現・洛北高校)を卒業した少年の頃から、

中森マサ師に篠塚の舞を習っていたが、篠塚流最後の町師匠といわれる水野つる女とは家も近く、叔母とも心易く、昭和21年に亡くなるまで教えを受けていた。

その後、地唄を主とした上方舞を学んでいたが、昭和38年に郷土研究家の田中緑紅先生や堂本寒星先生ほかの多くの有志の方々の推挙を受け、京舞篠塚流を再興した。

そして、京都・祇園甲部歌舞練場や京都府立文化芸術会館で度々『京舞篠塚流の会』を主宰。芸術祭に参加した昭和45年と49年の二度の東京公演や、昭和56年にはニューヨークやトロントと同60年のボストンでの海外公演が行われた。

井上流との競演や能楽金剛流と同演目での併演があり、文化財に指定されている島原の角屋、野口邸と杉本旧宅での『座敷で見る京舞』も注目された。

毎年7月10日には祇園祭の神輿洗いの神事、お迎え提灯の小町踊りで昭和38年から参加、今日も続いている。

平成10年没。

 

六世家元  篠塚梅扇

錦林小学校、近衛中学校、鴨沂高校を経て同志社女子大学(英文科)卒業。

6才の時「蔵前のお染」で初舞台、令和元年九月 篠塚瑞穂改、六世 篠塚梅扇 襲名。

祇園甲部歌舞練場、先斗町歌舞練場その他での京舞篠塚流の会等に出演

社中指導以外にも京都市芸術家協会主催の夏休みこども体験教室など、後進への指導も行っている。

 

海外公演

1976年 京都市姉妹都市キエフへ親善大使の一員として参加出演

1981年 京舞篠塚流海外公演参加、ニューヨーク・トロントにて公演

1985年 京都市・ボストン姉妹都市結成25周年記念 ボスト公演出演

1986年 京都市芸術新人賞受賞

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